Create Self Rails

27歳、北海道に住む元IT企業SE。夢を叶えるために新卒で入社した会社をわずか1年で退職。自立していくために、色々と試行錯誤中。 夢は自分の作ったアプリ・ゲームで人の役に立つこと!主にアプリ・ゲーム・ブログといった創作活動や好きなことについての情報発信をしていきます。 好きなこと/ものは創作活動・プログラミング・ラブライブ!・北海道・オーバーオール。

プロフィール

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はじめまして、カナタと申します。

 

当ブログ『Create Self Rails』の運営者です。

これから、僕のプロフィールを語っていきます。

 

僕のことをちょっとでも知りたい人だけ見てください。

 

 

 

 

 

僕は「普段は見えない傷」を背負って生まれた

僕は1989年に、北海道のとある小さな市で生まれました。

生まれた直後に、『先天性横隔膜ヘルニア』という

病気にかかっていることが判明しました。

これは新生児だいたい3000人に1人ぐらいの割合で起こる病気で、

重度のものは死に至る可能性のある病です。

 

僕は手術をされて、なんとか生きることができました。

しかし、手術の後遺症で胸に手術跡が残ってしまいました。

しかも、胸がへっこんでしまいました。

 

生活する分には問題無いですし、普段は見えません。

ですが裸になると、へっこんでいて、手術跡のある胸が顔を出します。

 

そのせいで、プール授業とかがすごく嫌でした

へっこんでいる胸を見られるのが恥ずかしかったです。

 

 

登校拒否になってしまった小学生時代 

僕が小学2年生のとき。

友達がちょっと小突くような感じでスキンシップ(?)をしてきたんです。

 

ですが、当時の僕は

  • 豆腐よりももろいメンタル
  • ガラスよりも壊れやすいハート

を持っていたのです。

非常に繊細な子どもでした。

 

そのせいで、友達の悪気のない行為に

強く傷ついてしまったのです。

 

僕は学校に行くかわりに、

泣きながら家のトイレにこもっていました

 

被害妄想と自意識過剰が強くなったのはおそらくこの頃からです。

 

 

いじめられたり、いじめたりした中学生時代

中学生になった僕は、友達からいじめられるようになりました。

もしかすると、僕がいじめだと感じているだけで

いじめてるほうは違ったかもしれません。

 

そして中学2年生のときに、一生消えない傷を負わされてしまいました。

 

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見づらいですが、真ん中あたりにある白い跡がそれです。

あれから10年以上経ちましたが、消える様子は全くないです。

 

 

また、ある友達を精神的に傷つけてしまったこともありました。

このとき僕は軽い気持ちでした。

 

これもいじめにつながってしまったのかな、と思いました。

 

いじめられたほうがいじめだと思えば、

それはいじめになってしまうのかもしれません。

 

 

地獄の「3年間ぼっち」だった高校生時代 

中学校を卒業し、無事に高校に入学した僕。

ですが、友達のほとんどが僕とは別の高校に行ってしまったのです。

 

僕は高校で新しい友達を作るのに失敗してしまいました。

結局、高校3年間を「ぼっち」で過ごすことになってしまいました。

 

また、クラスメートに声のことでからかわれたことがありました。

中学生のときの僕がしたように、ほんの軽い気持ちで。

 

しかし、被害妄想と自意識過剰が強かった当時の僕にとって、

このことは強烈な傷を作りました。

 

僕はさらに話せなくなり、声も小さくなっていきました。

 

 

動画にハマった

 

学校がある意味苦痛だった僕は、

高校3年生のときから「ニコニコ動画」を狂ったように見始めました。

 

現実逃避です。

 

ろくに勉強しなくなりました。

成績も目に見えて落ちました。

第一、第二候補の大学に両方落ちました。

 

そして、浪人生活が始まりました。

 

 

「ゲームを作りたい!」と思った浪人生時代

浪人生になってもあいかわらずニコニコ動画を見ていた僕は、

(さすがに見る時間は減りましたが)

人気アニメの二次創作ゲームの動画を見つけました。

 

面白そうだと思ったので、

「大学生になったら、絶対ゲームを作ってやる!」

と、大きな野望を胸に予備校で勉強をしていました。

 

電車に揺られながら、ゲームのアイデアを思いついたら

すぐ携帯にメモしていました。

 

 

人生の大きな分かれ道だった大学生時代 

一浪して大学に合格した僕は早速ゲームと動画を作りはじめました。

 

8ヶ月で1つのゲームが完成しました。

動画に寄せられるコメントがとても嬉しかったです。

 

僕は調子にのって2作目を作りました。

しかし、その2作目は趣味レベルで作るには大きすぎました。

それに動画を上げても1作目より人気が出ませんでした。

 

ほぼ同時期に「RPGツクールDS」というRPGを作れるゲームが発売され、

それで作ったゲームはそこそこ良い評価を得ました。

 

僕はまた調子にのって、作ったゲームをどんどん宣伝しました。

しかし、2回目以降は誰も反応してくれませんでした。

 

こうして、僕はゲーム制作に関して2度も失敗をしてきました。

この失敗から、創作活動とは一旦離れることになります。

 

この失敗から学んだこと

  • まだ実力があまりないのに、壮大なものを作ろうと考えるのはダメ
  • 宣伝しすぎはダメ
  • 反応が無いことを気にしすぎるのはダメ

 

 

就活という名の悪魔

2014年。大学院に進学した僕も、

「就活」というものから逃れられなくなりました。

 

面接を受けるも次々と落ちていき、次第に僕は焦り始めました。

それと同時に自信も少しずつ無くなっていくような気がしました。

 

そして、ある事件が起こりました。

僕の進む人生を変えた事件。

 

 

ある会社の面接前の試験で、

「学生生活でがんばったこと」という題で2枚の紙が渡されました。

僕は1枚しか書けませんでした。

 

もっとあったはずなのに、

それぐらいしか考えられなかった。

 

面接官は「1枚しか書いてないじゃないか」と言いました。

僕は「これが全てです」としか言えませんでした。

 

すると、別の面接官がおそらく適性検査の紙を見ながら一言、

 

 

 

「君はやる気がないんじゃないのか」

 

 

 

突きつけられたその言葉により、僕は心が落ちていくのを感じました。

 

 

死ぬことを考えた

すっかり自信を無くしてしまった僕は、

ある掲示板で見つけた怪しい言葉に惹かれていました。

 

それは、

「死後の世界というものがあって、

そこでパラレルワールド(生きたい人生)を選べる」

というものでした。

 

いかにもオカルトっぽくて怪しいですね

 

ただ、当時の僕は精神が不安定でした。

そしてその言葉に影響され、最悪のことを考えてしまいました。

 

「よし、死んで人生をやり直そう!」と。

 

 

僕は死ねなかった

それを決めたときから、僕は大学に行かず

ひたすら狂ったように遊びまくりました。

 

「残り少ない人生なんだから、思いっきり遊ぼう!」と。

当時の僕は異常な生活をしていました。

 

  • 朝、昼、夜全ての食事をコンビニで済ます
  • 大学の友達、後輩などにばれないために基本、夜明け前にコンビニに行く
  • ニコニコ動画、生放送を夜明けまで見る

 

このような明らかに頭のおかしい生活をしていました。

 

そして20145月、ゴールデンウィークが終わったら死のう!

と思うものの、まだ遊び足りないから死ねない。

6月も死ねない。

 

日が経つにつれ、僕の精神はどんどん病んでいきました。

 

7月に、死に方について色々と調べるようになりました。

自殺スポットも調べました。

そしてとうとう、パソコンデータを全て消してしまいました。

いよいよ人生の終わりが見えてきました。

 

しかし、僕は数ヶ月前から始めていた「あるスマホゲーム」に助けられました。

命の恩人(恩ゲーム?)とも言えるようなものでした。

 

そのゲームのおかげで僕はなんとか生きながらえることができました。

 

 

「会社は安定するものではない」と感じたサラリーマン時代

結局僕は留年し、20158月に内定を取りました。

そして副業でゲームを作ってお金を稼ぐことを思いつき、

働きながらゲームを作るぞ!と意気込んでいました。

 

 

しかし、時間が足りませんでした。

平日は大体19時ごろに家に帰ってきて、

20時~22時前までをゲーム制作の時間に充てていました。

 

僕はいつしかこう思うようになりました。

「もっと時間がほしい!」

 

もっとたくさんゲーム制作に充てる時間がほしかったのです。

正直、このころはまだゲーム制作に関しては趣味レベルでしかなかったと思います。

人生をかけてまでやることではなかったので、

ついつい他のことをしてしまい、時間を無くしてしまっていたのです。

 

 

20167月、ほぼ定時で帰れるプロジェクトに配属されました。

しかし、2ヶ月と経たないうちに、

通勤片道約1時間・強制的な残業ありという

プロジェクトへの異動が決定しました。

 

この経験から、

「会社生活は上の機嫌一つで全てが変わる、安定とほど遠いもの」だと感じました。

 

 

夢が生まれた

20168月。

少し時間は戻って、異動が決定する前です。

 

今後の会社生活が揺らいでいました。

やれどこか他のプロジェクトに異動するだの、

その話は無くなって別のところだだの、

正直言って不安でした。

 

ちょうど同時期に、僕が20164月から知った、

大学生にして月平均40万以上を稼いでいる方がいました。

なんと僕がもらっている給与の2倍以上!

その方が8月に合宿を開くとのことでした。

僕は不安ながらも、はるばる北海道から東京までその人に会いに行きました。

 

まずその人は、自分の強みを出すように言いました。

なんとか考えたのがプログラミングとゲームでした。

「それじゃあ、自分でゲームを作って売ってみたらどうですか?

こういう売り方をすれば、それで生活できますよ」

 

・・・!

 

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「自分が考えたアプリやゲームを作って、人を幸せにしよう!」

 

夢が生まれました。

今まで、趣味レベルでしかなかったアプリ・ゲーム制作を、

自分の人生をかけてやりたい!と思った瞬間でした。

 

 

僕は転職することを考えた

 

夢が生まれ、アメーバブログでゲーム制作についての記事を書くも、

異動になったプロジェクトがどんどん忙しくなってきていました。

 

ブログに割ける時間も減っていきました。

「もっと時間がほしい!」

 

またしても、このことを思う僕。

どうにかできないのか。

 

そう考えていた、201612月。

給与明細を見た僕が気づいた小さな違和感。

「残業をたくさんしたのに、残業代がもらえていない?」

 

また同時期に、エンジニアのための転職サイトを偶然見つけ、

早速登録しました。

 

12月は残業が多いことが確定していたため、

休日出勤もこなし、本当に残業代が出ないかどうか確かめてやろうと思いました。

 

会社を試したのです。

 

 

そして運命の20171月。

給与明細を見たところ、

働いた時間に対して残業代が明らかに少なかったのです。

 

  • エンジニアのための転職サイトを見つけた
  • 働いた時間に対して残業代が明らかに少なかった

 

この2つのことが僕の転職・退職を考えるきっかけになりました。

 

 

退職を決意。そして自分の道へ

2017年、僕はさまざまな生き方をしている人たちに積極的に会いに行きました。

1年前までは会社に雇われて働くことしか知らなかった僕にとっては、

衝撃的で新鮮でした。

その人たちから勇気や元気・自信をもらいました。

 

そして僕は2017331日に退職することを決意しました。

まだ社会人1年目。

「普通」であれば、まだスタートを切ったばかり。

 

しかし、僕は「普通」ではない道を歩もうとしています。

僕は「誰かが作ったレール」ではなく、「自分で作ったレール」を進みます。

 

今度は、僕が勇気や元気・自信を与える側です。

 

僕が思っている以上に苦しい道かもしれません。

大きな失敗をしてしまうかもしれません。

長い道のりになるかもしれません。

 

ですが、僕には夢があります。

 

自分の作ったアプリを利用してくれる人が感謝してくれたり、

自分の作ったゲームを遊んでくれる人たちが楽しいと思ってくれる。

それが僕の夢であり、幸せです。

それが僕の原動力となるのです。

 

僕は夢に向かって、頑張っていきます。

そして、少しずつ自分を成長させていきます。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました!